2014年7月10日木曜日

表現者




最近思ったこと。
facebookでは色んな情報が日々入ってきます。
時事問題、スポーツニュース、笑える映像、宗教問題etc。
それらの情報をシェアすることについて、僕なりの考えを書こうと思います。


情報が流れることについて、
ポジティブな映像・画像は良いと思います。
おバカ映像、かわいい動物の映像、ある技術に特化した事柄・人物紹介、僕は好きです。

ネガティブなニュースも基本的に良いと思います。
真実は何かを知ること探ること、大事だと思います。

どちらも「皆にも共有したい、分かってほしい」という思いでシェアをする方、多いと思います。僕もシェアします。


ただ、特にネガティブな情報は、シェアの仕方が難しいと感じます。

時にショッキングな画像も良く見られます。
特に動物愛護や人間の生活の裏に動物の死があることを訴える記事。
象牙を狙った象の乱獲、毛皮をはぐ乱獲行為、鶏や牛など食料になる動物の飼育方法、
これらにニュースにあるのは虐待を受けた残虐な写真の数々。
現実を知ってもらう為にそういった残虐性を伴った情報公開になるのは仕方がないと思います。

そのようなニュースを拡散・シェアする時、
一つの事を気にするだけでシェアする意味合いや伝わり方がかなり変わると思っています。


それは、「表現者になる」ということ。


ネガティブな事をネガティブな映像・画像で次から次へと他人へ情報を流していくということは、「表現者」とは言えません。ただの情報を伝える人です。

ショックを与えて、その様な悲劇が起こらないように努める、という考えも理解できます。時として、そういうショックは必要です。

ですが、「表現者」として、もう1つ工夫することにより、「皆にも共有したい、分かってほしい」という思いがより一層深く伝わると思います。

本当に知って欲しいと思うのであれば、
情報を横流しにするのではなく、噛み砕いて、自分なりに伝えることが大事なのではと思います。
真実を知ってほしいという正義感があるのであれば、それを人の心に伝わる為の工夫をして伝えれば、より人の心に響くと思います。



僕は、象の乱獲を防ぐために本当に微力ですが資金援助をするほど象が好きです。
そのため、可愛い象の写真や嬉しいニュースと共に、かなり残酷な情報も目に入ってきます。
しかし、それをそのまま人に伝えることより、
ネガティブな要素をポジティブな要素を持って伝えたいと思います。
1枚の残虐な写真は100枚の愛くるしい写真よりもインパクトはあるかもしれません。
しかし100枚の写真を見て、何かを感じてもらう表現方法を僕は選びます。



普段、音楽家として生活している身として、伝えることの難しさを毎日感じております。
例えばレッスンでは音と言葉を持って説明していきますが、これがなかなか難しい。
最初は何で生徒さんはこれができないのか?と思っていましたが、
それは生徒さんが悪いのではなく、僕の伝え方が良くなかったのです。
同じ事を説明の仕方を変えるだけで出来るようになる、そんなことが良くあります。
また、ライブ演奏やCDなど音楽そのものについては、聴き手にとって理解するということよりも、感じてもらう方を優先してほしいので、レッスンのような解読してもらうような伝え方はあまり必要ないので、それはそれでまた違う伝え方を必要とします。


基本的にはハッピーに暮らしていきたい、ただそれだけなのです。
そのために表現することとは何か、追求していきたいと思います。

(「表現者」として、こんな長い記事ではなく、より簡潔に伝えられたいいのに!)